井仁の紹介
         目 次

1.はじめに

日本の棚田百選について

テレビ・ラジオ報道の記録

2.概要

井仁の地理

井仁の歴史

井仁の自然

3.棚田

棚田とは

棚田の機能

石垣について
4.棚田の記録

棚田50年の思い出

第1回棚田まつりの記録


5.その他

害獣対策

添水(そうず)

観光

井仁の特産品

井仁の名物

 

1.はじめに  

日本の棚田百選について

       概要

        1999年7月26日農林水産省(構造改善局開発課)は、日本の棚田百選
       を選定、発表した。
        「百選」には全国117市町村、134ヶ所(うち中国地方は15ヶ所)が認定
       され、広島県では筒賀村(現・安芸太田町)の井仁地区のみが選ばれた。
     

趣旨

 わが国における代表的な棚田を「日本の棚田百選」として認定し,その
維持・保全にあたっている地域の人々の努力を積極的に評価し,農業・
農村の一層の発展を図るとともに,国民一人一人の理解を深めることを
目的とする。

選定基準、方法   

 主に以下の事項を元に選定された。
 
・地域で積極的に棚田の維持・保全の取り組みがなされ,今後もその取り
 組みが継続される見込みがあること。

・一定以上の面積(1ha以上)と一定以上の勾配(1/20:水平に20m行って
 1m標高が上がる。)を持つこと。

・国土の保全や景観,伝統文化の維持保全などに役立っていること。

 選定にあたって,「日本の棚田百選選定委員会」が設けられ、各都道府県
から推薦された棚田から選定されることが決まった。

 さらに同委員会で棚田の評価方法について意見がまとめられ、7月16日
に開催された委員会で、各都道府県から推薦された149地区(131市町村)
の棚田が審議され、最終的に134地区(117市町村)が「日本の棚田百選」
として選定された。

「日本の棚田百選」選定委員

   氏  名        役  職
  
  浅原 辰夫    (社)農村環境整備センター理事長
  大島 暁雄    文化庁文化財保護部伝統文化課主任文化財調査官
  勝原 文夫    日本農村風景研究所主宰
  岸   康彦    愛媛大学農学部教授
  木村 和弘    信州大学農学部教授
  高橋  強     京都大学鳥学部教授
  富山 和子    評論家,立正大学教授
  中島 峰広    早稲田大学教育学部教授
  馬場 弘融    東京都日野市長
  樋口 忠彦    新潟大学工学部教授

 

  テレビ・ラジオ報道の記録

      2000年以降に井仁地区がテレビ・ラジオに紹介されたもののうち、主なものを
     以下にまとめる。

    ☆2000年 4月14日  NHK総合テレビ 「広島発2000 棚田を誰が守るのか」 
                                (中国5県の放送 25分間)

    2000年 5月19日  NHK総合テレビ 「ふれあい紀行 棚田の春」 
                                (〃  25分間)

    2000年11月13日  広島テレビ    「柏村武昭のテレビ宣言」
                                (広島県のみ)

    2000年11月23日  NHK総合テレビ 「勤労感謝の日特集 老いて雲を耕す」
                                 (全国放送、 50分間)

              (井仁の棚田の1年間の農作業と家族の生活を密着取材。厳しい過疎の山間に生きる
        老人の棚田への思いと、それを支える子や孫たちのつながりを、美しい棚田の映像と
        共に描く。  河野 さん一家の笑顔に全国から多くの感動の声がよせられた。)         

     
    ☆
2002年9月2日 広島テレビ 「テレビ宣言にゅー」                      
           (広島県のみ)    (井仁の棚田と井仁の棚田米の紹介)

 
         2002年10月14日 NHK総合テレビ「生中継 ふるさとの食にっぽんの食」
                               (全国放送)

         (「伝統的食文化の継承」をテーマに、食の原点を見つめ直す各地の取り組み
          の様子を中継し、井仁の棚田から稲刈り等の様子を紹介。)


     2003年6月12日 NHK総合テレビ「お好みワイド」井仁の棚田の紹介


     2006年4月15日 NHK衛星放送番組 「春 里山の音景色」
            放送時間:4月15日(土)12:10〜14:40(NHKBSハイビジョン
              再放送:4月16日(日)13:00〜15:30(NHKBS-2)

      (三宅民夫アナウンサーと女優・星野知子さん、作家・山根一眞氏の3人が、春を迎える
      井仁の棚田を訪れ、水や風の音、鳥の声、農作業の様子など、美しい音と映像にこだわ
      った番組。2時間30分の長時間番組の中で、全国各地の里山の春の訪れも紹介された。
             井仁地区の人たちの出演と協力もあった。)


          2006年5月10日 新広島テレビ「ひろしま満点ママ!!」井仁の田植え風景の紹介

       
     ☆
2006年  NHKラジオ深夜便の月曜〜金曜の夜11時22分〜11時30分まで、
            「日本列島くらしのたより」が放送されており、毎月第3水曜
            井仁地区の河野司さんがリポーターとして出演していました。

 

                  
 

2.概要

  井仁の地理

 

   
   広島県の西北部、中国自動車道戸河内ICから約4km、急坂なつづら折りの県道を登りきり、

 小さいトンネルを抜けると突如、「桃源郷」のような集落が開ける。

  標高500〜550mの集落全体が山に囲まれた、すり鉢状の傾斜地で、「井」は丸い、「仁」

 村・集落の意味があると言われている。

  安芸太田町津浪の国道191からも約4kmと、両方面に県道でつながっている。

   平均勾配は6分の1で、農地面積は約12ha、内棚田が約8ha(324枚といわれている)。

   棚田の石垣は少しでも面積を広くするためにほぼ垂直に築かれている。


  水田の水は、総延長約6kmの水路によって、山の

向こうの3つの谷から引いてきている。

 昭和15年ごろ、セメント代の村費補助を受けて、

地元の人たちの労力奉仕で完成し、その後改良を

加えて今日に至っている。

 また、井仁の人は集落全体を囲む延長約4kmの

猪防護柵(高さ1.8m)の中で生活している。

  井仁のトンネルは昭和35年に開通したもので、

 高さ制限3m、車の離合は困難で、大型車は通れないので注意が必要。

   H22.3.1現在、住民は27世帯、人口67人平均年齢58歳である。半数近くが70歳以上

 で、うち高齢者の1人暮らし世帯が7戸ある。(終戦直後の全戸数は54戸あった。)

    

井仁の歴史

 太田川上流域の「大田郷」は平安時代末期から鎌倉時代(西暦1100年頃〜1300年代)にかけて

開墾が進められ、厳島神社社領に組み入れられ、領主制の中で農業生産の向上と農民の自立・

土地所有が進んだとされる。

 室町時代前期(1400年頃)に初期的な村落の形成が行われたとみられている。

 一般に石垣技術は山城の築城から発達したと言われ、棚田は山を開墾して出た石を積み重ねて

築かれた。井仁で最も古いとみられる石垣は戦国時代(約500年前、室町後期)のものと推測

される。
寛永15年(1638)の「地詰帳」には、耕地が現在とほぼ同じ広さがあったという記録がある。

 秀吉の朝鮮出兵(「文禄・慶長の役」1592〜1598)のとき、安芸国の山間部に本拠を持つ吉川氏も

出兵を命じられ、山県郡内や太田地方からも、築城要員として多くの人夫が動員された。この人たち

が故郷に帰って、石割りや石積みの技術を広め、棚田の石垣の多くが築かれたといわれている。

                                       (以上『筒賀村史(通史編)』参照)

明治 7年、文化文政の頃よりあった寺子屋がもとになって井仁郷に「小学自由舎」創設

明治13年、井仁小学校に改名

明治15年、井仁地区の上殿河内村分が中筒賀村に編入される、   井仁小学校校舎新築  

明治32年、1年生38名、2年生23名、3年生29名、計90名の記録あり

明治37年、全戸64戸の記録あり   新校舎竣工落成

明治39年、「若連中」を改め、「井仁青年会」発会

大正 4年、井仁田楽団結成

大正 6年、井仁婦人会発会

大正10年、井仁大火、12戸焼失

昭和 3年、大花田植で牛18頭、早乙女47人、田太鼓13人、その他12人の記録あり

昭和 8年、井仁戸主会発足    活動写真を初めて行う

昭和11年、正音寺建替えの地づきに全校児童参加

昭和15年、用水確保のため労力奉仕により、山の向うから延長約5キロメートルの用水路を完成

昭和25年、井仁隋道(人道トンネル)開通

昭和27年、共同電話開通

昭和31年、井仁小学校新校舎落成     テレビを始めて設置

昭和33年、上水道完成 村内全戸給水開始

昭和35年、井仁トンネル開通(車道181m)

昭和38年、豪雪(背丈を越える積雪、西中国山地の過疎化が始まる)

昭和50年、井仁小学校休校 (児童数3名)、  民具民俗資料250点収集搬入、
                               井仁芸能保存会復活、村敬老会に田楽出演

平成 9年、全戸下水道完備

平成10年、筒賀村は都市との交流による棚田保全・地域活性化策を打ち出す

平成11年6月6日、地区住民が主体となって第1回「棚田まつり」を開催し、都市住民を交えて
        昔ながらの田植えを再現、交流を深めた。以後、毎年春秋2回の「棚田まつリ」や
        「棚田写真コンテスト」
を開催

平成11年7月26日、農林水産省の「日本の棚田百選」に認定された

平成11年10月、棚田地域等緊急保全対策事業による猪防護柵完成(金網H1.8m、全周約4km)

平成12年6月23日、広島県「景観づくり大賞」を受賞

             

                             

                                        (日本の棚田百選認定書) 

 



 

                              

 










                                  (景観づくり大賞)



平成12年、 4月から11月にかけてNHKテレビで数回、井仁の取材番組が放映される
        「棚田を誰が守るのか」「老いて雲を耕す」など

平成14年、 棚田展望台、休憩所・トイレ、案内看板等が設置される

平成15年11月30日、JR可部線(可部〜三段峡間)廃止となる

平成16年3月、広島ホームテレビ「ふるさとCM大賞」に「井仁棚田まつり〈さんばい編〉」を応募
         山本晋也審査委員長特別賞をいただく

       9月、台風18号により井仁小学校のトタン屋根が吹き飛ぶ。民家の被害も多くあった

      10月1日、町村合併により『安芸太田町』となる

平成18年、 企業等による農山村社会貢献活動として、「アストラゼネカ株式会社」社員さんが
        井仁地区で草刈りなどのボランティアを開始される

平成23年、 井仁地区マスタープラン〈基本計画〉作成に着手

         自治会の中に、地域自主活動組織「いにぴちゅ会」を発足

平成25年7月1日、休校中の井仁小学校閉校。今後「井仁棚田交流館」として活用

  

井仁の自然

    

気象 (霧・もや・雲の動きについて)

 井仁地区は「桃源郷」と言った人が有るように、急激に標高が上がっているため、雲(地元ではもや

という。)の発生や動きを目の前に見る事ができます。昔から雲の動きで天気を予報しました。

 写真の右(東)から左(西)に雲が上っていくときは雨になる、左から右に下がっていくときは晴れると

いいます。左の写真からわずか数分で右の様になります。天気が良くなるときは上空の雲がみな下

にさがって雲海となります。

 朝、井仁は青空だったが、下におりると雲(霧)の中、ということがあります。

 

3.棚田 

棚田とは

 急峻な地形を巧みに利用して階段状になった耕地が棚田であるが、それはただ地形のみでなく、

そこに暮らす農民の毎日の生活の場であり、自然条件と一体的にきちんと手入れ、管理されて、機能

しているものを棚田と呼びたい。

 何百年も耕された棚田も、丸1年も手を入れなかったら棚田とは呼べなくなるのである。

 「棚田は、稲作に日々利用されて初めて、その公益的機能を発揮することができる。

不耕作が2年も続けば、畦は崩れ、田の表土は流され、豪雨を受け止めてゆっくりと流すこと

はできなくなる。棚田は、人間とともに生きている間だけ棚田なのである。

 そこが、ピラミッドや万里の長城などの、死せる土木構造物との決定的な違いである。」

                  
                  (東京農工大助教授・千賀裕太郎氏「棚田は生きている」より)

 

棚田の機能

(棚田ネットワーク中国 比地原 征昭氏 「棚田は偉い」より)

.保水機能が大きい。急傾斜地の水を堰き止め、1日に10〜20ミリの水を地中や空気中に溜めて

 いる。大雨でも洪水や土砂崩れ、地すべりなどを防止して国土保全に 大きく貢献している。

.自然に優しい。自然条件の厳しい場所に立地する棚田では、農薬や化学肥料を 極力抑えた経  
 
 営を行い、生態系を守り、自然環境を守っている。

.地形に沿った形状は実に美しく、農村景観の代表的な風景である。 「耕して天に至る」あの風景 
 
 は他に類を見ない。季節により千変万化する感動的な 風景である。

石垣について

  井仁の棚田はほぼ垂直の石垣で築かれている。傾斜のきつい土地を精一杯有効に利用するため

 である。地元では「ぎし」と呼んでいる。
 
   高さ4メートル近い石垣になると草取り作業で手が届かない。そこで高さ2メートル内外の位置に

 横並びに長手の石を30センチ程度飛び出させて石垣に組み入れ、これに足をかけて渡りながら

 作業をした。これを「渡り石」という。

   石垣の草取りは年3回程度行われる。一説によると、草をよく採ると、白っぽい花崗岩の石垣の

 表面が太陽の光を反射して、日陰になりやすい石垣の根元近くを、満遍なく照らす効果があると

 いわれている。(輻射熱


          (渡り石がある石垣)                 (横穴がある大石垣)       

  山に近い最上部の棚田では、山から流れ出る水をそのまま棚田の下をくぐらせて、下の棚田に

流すための横穴暗渠(あんきょ))が作られている。大きな田を迂回させて水路を造るのは大変な労力を要す

ので、暗渠にして埋め立て、石垣に横穴を作って水を下に流したのである。蛇口とも言われている。

少しでも、水と水田面積を確保するための工夫である。

 
 下の左の写真は、井仁で最も古いとされている石垣で、室町後期(約500年前、戦国時代)

築かれたものと推測されている。高さ約1.5m前後で、開拓で出た比較的小さい石をほとんど加工せ

ずそのまま肩の高さまで手作業で積んだ野面(のづら)積みである。他の石垣と違って、石を横長に水平に

寝かせて積み重ねる「(ぬの)積み」
といわれる中世の初期的な石組み工法の特徴が見られる。

 また、右の写真は最近、現代の石工によって築かれた「谷積み」と呼ばれる、近世になって改良さ

れ発達した伝統工法によるものである。

             
             (中世の石垣)                     (近世の改良型石垣)

 

4.その他  

害獣対策

 山中に開かれた井仁地区にとって、その歴史はすなわち猪や猿などの害獣との戦いの歴史といっ
ても過言ではない。以下にその概要を示す。


 井仁地区における猪被害対策の歴史  


昭和35年頃 村有林天上山一帯の天然林が一斉皆伐され、全山スギ・ヒノキの人工林化が進む。
        ※この頃まで天上山には、山栗などの大木がたくさんある、広葉樹の原生林があった。

昭和40年頃から 猪の被害
が年々増大し、各戸において様々な被害防止対策が試みられる。
      
        ※この頃行われていたこと 
         ・ 夜通しぼろ布に火をつけてくすぶらす。
         ・ ビンに灯油を入れて灯心に火をつけ田の周囲に並べる。
         ・ カーバイトガスを自動的に爆発させ、音を立てる。
        
         ・ ラジオを夜どうしつけておく。
         ・ 人間の髪の毛などを田のあぜに置いておく。
         ・ 犬をつなぐ。


昭和50年 地区民総出で、集落全体を電気牧柵で取り囲む。約4km、当初効果大。  

昭和51年 漏電防止や効果を上げるため、碍子や配線の改善を行い、コースの一部変更を行う。


昭和62年 猪の知能が発達して電気牧柵の効果が薄れ、又、高齢による見回りの困難性が強まり
       電気牧柵に替え波トタン板で全周を囲む。   

平成 4年 台風により波トタン柵が大被害を受け、大幅な修理を行う。猪は年々賢くなってきて、
       波トタン板を突き破って侵入するようになり、補修・補強とイタチごっこの状態が続き、
       老齢化とともに維持管理に対する負担感が強まってきた。
 

平成11年 国の補助事業である棚田地域等緊急保全対策事業により、耐久的特殊金網柵
       全周約3.5kmに亘り施工された。高さ約2mで県道以外の車道・歩道は扉を設け、通行
       のつど開閉をお願いする。
      
                 
 しかし大きな扉4箇所については、地元の人が当番で朝夕
開閉している。                            

県道だけは扉の横断ができないので、時々ここから入り込む
らしい。一旦柵の中に猪が入り込み、住み着くと厄介なことに
なる。地元の人は対策を検討中だが良案がない。

現在のところ、猪害はほとんど見られず大きな成果をあげて
いる。
     

 

   添水(そうず)               

  

一般にいう水車のことをこの地方では添水(そうず)と呼ぶ。

井仁の集落はスリバチ状の小盆地であり、急勾配に作られた
棚田のほとんどは集落の中央を貫く井仁谷から取水している。多くの田は数十メートル上流の少し高い地点から水路を通して水を導いている。

  
添水は、この水路の水や田の排水と添水の設置点との高度差をエネルギーとして利用している、まさに棚田ならではの
装置といえる。
                        
 脱穀能力は水量や回転翼の形状にもよるが一般的なもので米5升当り12時間程度を費やすという。

かっては井仁谷に5〜6のそうずが有ったが、現在は精米機などの普及により姿を消した。
写真のものは最近設置され実用されている。
 

観光設備                    

                     

←井仁の展望台(下から見上げる位置にある)

最近の棚田観光客の増加に伴い、(旧)筒賀村は総整備費約1000万円を費やし、井仁地区に関連設備を2002年度に整備した。

トイレや休憩所など、井仁を訪れた観光客の便宜を図る施設ができたことにより、更なる都市と農村の交流拡大が期待される。

  写真はその第一弾として約200万円を投じて設置された展望台である。盆地最下部から棚田全体
  を下から見渡せる位置にあり、丸太組みで広さ16平方メートルである。

  棚田の概要を紹介した説明板もあり訪れた観光客からは「棚田全体を見渡せることができて良い」
 などと好評である。  

 

  ( 展望台に設置された説明看板)



                                           








        (展望台下の公衆トイレ)


 









             (休憩所)                        (右の棟がトイレ)
                                                                

井仁地区には2ヶ所公衆水洗トイレが設置されています。1つは展望台の下で、

もう1つは上にあがった所の休憩所の隣にあり障害者用の設備が施されています。

又、休憩所には「棚田見学者記帳簿」を置いていますので、ご感想・ご要望など

ご自由にご記帳ください。 このホームページで内容をご紹介しています。
   

               

井仁の特産品                                                

          井仁の竹炭      ※ 高齢化のため、竹炭は現在 製造を休止しています。

                                                       
                                                               
                                                                  (竹炭と竹酢液)    


      井仁の棚田米      

棚田米は石垣の輻射熱や朝晩の寒暖の差が大きい等で味がよくなります。また、標高500m以上の山から引いた澄んだ湧き水で作られています。

減農薬で生活排水が混入しない安全安心でおいしい棚田米をぜひご賞味ください。 (コシヒカリ白米5kg袋入り・・・2,500円で販売しています。)

連絡先 河野 司 ( 0826‐32‐2306)

 「ホームページを見ました。」といってご注文ください。


井仁の棚田人形

棚田青空市で販売しています。素朴な趣に人気があり、数量限定の手作りおみやげ品です。

        

ちょっと変わった井仁の名物 

井仁のトンネル

 













 戸河内ICから井仁峠を上って行くと頂上がこのトンネルです。

 長さ181m、高さ制限3m。昭和35年開通。車の離合はできません。

・・・  トンネルを抜けると・・・そこが井仁棚田集落です。



      道路に扉が?!

井仁から天上山方面へ林道をあがっていくと、
突然、、鉄の扉が道路を遮断していますのでご注意下さい。

井仁集落は全周を猪防止柵で囲っています。

下の方の県道は遮るわけにいきませんが、農道、林道については扉を計8箇所設置しています。

もし車で通行される時は、ご面倒ですがセルフサービスで開いて通り、また閉じておいてくださるようお願いします。

           (井仁自治会)

      

   棚田50年の想い出     (作画・文 小笠原 昭道)  

 
 よくぞ70余年、生かされたものだ。

 食料として満足にない、古着ばかり、つぎはぎしたものを着た。

 いろんな想い出が頭の中を横ぎる。

 この地で清く澄んだ空気と山あいのわき水を飲み、

 この水で育んだお米を食し、自然環境に恵まれた棚田を守ってきた、そのお陰と思う。

 農業も様変わりして、このような百姓道具で苦労したのも今は夢物語。

 せめて絵に残し、去りし昔をしのぶ話の種ともなればと思う。
      

        

        苗代づくり           荒起こし(あらおこし)       荒代かき(あらじろかき)
                            (
昭和30年代半ばまで牛が働いた)

           

     柄振り差し(えぶりさし)             田植え         岸草取り(ぎしぐさとり)


        

         草取り                 稲刈り             はぜかけ                                    

          

           脱穀機              木負子(きおいこ)          降雨作業姿




  棚田の農機具

                                                    
  @千歯(せんば)・・・稲から もみと稲わらに分け


A通し (とおし)・・・もみとごみを分ける道具
        
       B唐臼(とううす)・・・もみを挽(ひ)き玄米に分ける道具

  C唐蓑(とうみ)・・・風を起こし、ごみをとる道具

    これで玄米のでき上がり

          

 @振り槌(ふりつち)・・・豆類などをこなす(量が多い場合)

          A草取り機・・・・・・・・腰をかがめての重労働から、田を押して歩くことで

                        労力減になり、当時としては画期的なものでした。

              B田打ち・・・・・・・・・・荒起こし後、隅々を打ち起こす鍬(くわ)

              CDE・・・・・・・・・・・・土の状態によって使い分ける各種の鍬(くわ)

              F鋸鎌(のこぎりがま)・・・稲刈り用


               G鎌(かま)・・・・・・・・・草刈り用
     


           

 1999(平成11)年 第1回井仁棚田まつり記録


 
H11年6月6日(日)  第1回井仁棚田まつり(田植えの部)開催


          標高500mの山間に拓かれた約500枚の棚田、

        一体いつ頃からコツコツと築かれたのだろう、

      今まで何百回の田植えが、収穫が行われただろう、

          祖先の汗がしたたり落ちたこの棚田、

    伝えていこう収穫の喜びを、残していこう自然の恵みを




                   実行委員長あいさつ

 本日、「井仁棚田まつり」にご参加いただきありがとうございます。

 私たちは、井仁棚田の歴史を振り返り、先人達の汗と涙で切り開かれ、築きあげられた

棚田美田が、年々荒廃化しつつあるのは誠に忍びがたい思いです。

 老齢化と過疎化の中にあって、歴史の重みに心を新たにし、都市住民のみなさまと交流を

深めながら、棚田の持つ保水、防災、自然環境の公益性などについてもご理解いただきたく、

この棚田保全の第一歩に、こうしたイベントを開催いたしました。

 なお、秋には「収穫祭」を行い、稲刈りで交歓をする予定にしております。

 ご参加いただきました皆様、本日の交流を縁として、この井仁地区の発展にご支援をいた

だきますことを願い、ご挨拶といたします。

                       井仁棚田まつり実行委員会 委員長 小笠原 昭道



             日 程


      9:45 開会あいさつ、来賓あいさつ

     10:00 苗取り、道ばやし、苗運び

     10:30 ワクまくり、苗まわし

     11:00 田植え、田楽ばやし

     12:00 交歓会、サンバイむすび・漬物

         (田植え体験参加者 広島安佐カブスカウトの皆さん30名)


               50年ぶりの田植え作業を再現


     田楽ばやし           苗取り           苗運び           ワクまくり


  広島市内の子ども達と      囃子に合わせて      サンバイむすび作り     ホウの葉の香りが

   
   “サンバイむすび”は、ホウの葉を何枚も重ねた中に熱いご飯と
   アズキを一緒に包み、セイロに入れて蒸します。
   ホウノ葉の香りがアズキご飯と一緒になって、何とも言えぬ独特
   の味がします。昔から6月頃の田植え農繁期によく作られました。
   防腐効果もあると言われています。 

 

     初めての食べ物